天福寺は大平山(標高697m)の東側山腹に位置する天台宗の古刹です。奈良時代(7世紀末)に修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)が創建し、8世紀初に僧の行基によって寺の構えが整えられたと伝えられています。

戦国時代に安芸の毛利氏と備前の宇喜多氏の戦に巻き込まれて、天正8年(1580年)に全堂宇(殿堂)が紛失しましたが、その後慶安4年(1651年)に再興され、足守藩主木下家の祈願所となり、手厚く保護されました。

本堂は、桁行8.2m、梁間8.2m、柱はケヤキの円柱、屋根は銅板葺き宝形造(四枚の屋根がすべて三角形をした屋根形式)、正面と両側面を廻縁とした建物で 、出入口などには蔀戸(分割された戸板を上部に引き上げたりはね上げて吊ったりして開閉する形式の戸)を用い、内部は荒目格天井となっています。


吉備中央町文化財保護委員からのワンポイントアドバイス

吉備高原の中央部にそびえる大平山の山腹に鎮座しているため、正面駐車場からは吉備の山並みの絶景が見下ろせます。入口には鐘楼兼仁王門があり、門の左側には町指定天然記念物の大鴨脚樹(おおいちょう)が植わっています。

石段を上がると本堂があり、客殿・庫裏と本堂は、中庭にある池の上を通る渡り廊下でつながっています。本堂裏の護摩堂奥の森の中に、大正時代末まで山伏姿の修験者が荒行などの修行をしていた行場跡があり、広大な寺域と豊かな森、整えられた境内、麗な殿堂が建ち並ぶ寺です。

賀陽小唄の一節に”大平山から 眺めて立てば どちらを向いても山の波“と唄われています。往時の山上仏教の繁栄を今に伝えています。

 

※出典:広報きびちゅうおう2023.12月号 吉備中央町文化財探訪記㉘

 

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吉備中央町豊野3412
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