吉備中央町で古くから神恩に感謝し繁栄と豊穣を祈願し執り行われてきた祭り。
(岡山県指定重要無形民俗文化財)
〜歴史・変遷〜
加茂大祭の歴史の始まりは、社伝によれば天喜年中(1053~58)と記録されています。当時、加茂郷と呼ばれていた旧加茂川町一帯に悪疫が流行し、その悪疫が神威によってはらい除かれたので、それに感謝するために付近の12社が総社に参集したといわれています。
その後、戦国時代に入り、前後200年の間、加茂大祭は中断されましたが、江戸時代中期より再興され、以後毎年行われてきました。そして、昭和34年(1959)に岡山県指定重要無形民俗文化財に指定されました。この加茂大祭保存のために「備前加茂大祭芸能保存会」も結成され、今日も盛大に神事が行われています。
〜祭りの進み方〜
祭の形式は寄宮祭という珍しい形式です。町内の鴨神社・化氣神社・松尾神社・日吉神社・素盞嗚神社・八幡宮・天計神社・三所神社の八社が各々の鎮座地から総社宮へ行列を整えて集合し、総社宮を交えた九社で大祭が行われます。伝統的な祭だけに厳格な規則があり、その規則が守られてはじめて祭も順調に進みます。
加茂大祭の8社
吉川八幡宮当番祭(とうばんさい)は、毎年10月1日から10月下旬まで1ヶ月近く続く秋の大祭で、古代から伝承された民衆的な祭りであり、日本的な情緒やユーモアを祭りの全体を通して伺い知ることができる文化的価値のある祭りです。
当番祭とは「訪問する最初の祭り」という意味であり、2社以上の八幡宮の氏子が互いに訪問し合い、氏子の反映と豊穣を神に祈り同族の絆を深める祭りです。
〜歴史・変遷〜
祭りは「当指し(とうざし)」という神事で、神社の南北から選ばれた吉川地区の男児(10歳前後)の氏名を書き込んだ紙片を丸めて三宝にのせ、宮司が祝詞を奏上しながら御幣によってつり上げ、当番を決めることから始まります。
10月の第3土曜日には「垢離(こり)とり(心を守る)」で当番が神人になり、後日、神の降臨をあおぐ「波区芸(はくけ)」という工作物を当番の家の庭に作り、古式にのっとり諸神事を行います。
そして第4土曜日が宵祭り、第4日曜日に例大祭が行われ、当家から着飾った馬に乗った当番を中心とした行列が神社に参拝し、祭りのクライマックスである「走り競べ」の行事を行います。
例大祭翌日の「波区芸(はくけ)あげ」の神事で昇神し、当番が俗人にかえり、祭りが終わります。
古くから神域を慰め疾病の退散と五穀豊穣を祈願するため、神社の氏子や地域の団体が、歌舞伎等から題材を選んでワラで人形を作り、紙の衣装をこしらえて奉納します。後に歌舞伎の影響を受け「民俗資料」として今日に及んでおり、県指定重要無形民俗文化財に指定されています。また祭りの終わりには盛大な花火が打ち上げられます。